関係者インタビュー - 管理人 -2004-03-03 02:33:13
フィギュアスケート関係者や関連する方のインタビューはココ
フィギュア王国を支える元五輪選手・小塚嗣彦さん - 管理人 -2004-03-03 02:34:28 (ホームページ)
◇基礎を徹底的に取得させる−−選手が失敗しても怒らない
 きら星のごとく有望選手がひしめく愛知県のフィギュアスケート界。同競技で県出身者として初めて冬季五輪(68年グルノーブル大会)に出場したのが、蒲郡プリンスホテル総支配人の小塚嗣彦さん(57)だ。県スケート連盟の礎を築いた父光彦さん(88)の影響で競技を始め、名選手の地位を築いた。現在は妻幸子さんとともに、全日本女王に輝いた安藤美姫選手や全国中学大会で3連覇を達成した息子の崇彦選手ら後進の育成にあたる。スケートへの情熱は衰えることがない。【張智彦、写真も】
 ――コーチを務めるオリオンクラブの安藤選手が全日本選手権で初優勝するなど、今季も県勢の活躍が目立ちました。
 愛知はけいこごとが盛んで親も非常に熱心。そんな環境で選手が少しずつ積み上げてきたものが一気に開花しました。身近にレベルの高いライバル選手が多いことも相乗効果を呼んでいる。新たな伝統が生まれつつあるという実感がします。
 ――スケートを始めたきっかけは?
 幼稚園のとき父親にやらされたんです。鉄拳もありのスパルタ教育で、なかなかスケートが好きになれなかった。転機は高校1年で高校総体に優勝した時。「オレにもできるんだ。努力すればうまくなれるんだ」と前向きな気持ちが生まれ、来年も勝ちたいという欲も出た。
 ――フィギュアの魅力はどんなところですか。
 先天的な体格や身体能力が結果を大きく左右するスポーツが多い中、努力すれば必ず一定のレベルまでいけることです。安藤選手にしても、世界で活躍する村主(すぐり)章枝(ふみえ)選手にしても、特別な身体能力を持っているわけではない。毎日こつこつと練習した成果なのです。
 ――指導する上で最も大切にしていることは。
 一つはスケーティングの基礎を徹底的に習得させることです。これをおろそかにすると後から修正できない。最も面白くない練習だが、これができないとジャンプ、ステップに理想的な無駄のない形で入っていけない。もう一つは練習態度ですね。私は選手が失敗しても怒ることはしない。しかし失敗した後、ふてくされたり気持ちを切らすような態度を見せると注意する。試合でジャンプを失敗しても、その後しっかり滑ればジャッジや観衆は評価してくれる。練習でできないことを本番でするのは無理だから普段から気をつけさせています。
 ――指導者として喜びを感じるのは。
 自分のやってきたことを少しでも後輩が納得し、吸収してくれればうれしい。現在クラブに8人の生徒がいますが、新しく挑戦した技を成功させたり、苦手だったことができるようになった時には、リンクで自然と拍手をしてしまう。その瞬間が一番幸せです。
 ――国際ジャッジの肩書を持つ小塚さんから見た日本のレベルは? また安藤選手の出場が期待される2年後のトリノ五輪でメダル獲得は?
 層の厚い女子は、このまま順調にいけばトリノで表彰台に上がれる可能性は高い。ジャンプが得意な伊藤みどり選手が一人で活躍していた時と違い、今は各選手がすべての技術を平均的に持ちながら、ジャンプや表現力など世界でも一級の得意分野を持っている。そんな国内のライバル同士が刺激し合っている。そして五輪の大舞台を経験したり、そこで活躍した選手には強い責任感が芽生え、自分に厳しくなる。日本フィギュアが進歩する大会になると期待しています。
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 ■人物略歴
 ◇こづか・つぐひこ
 名古屋市出身。愛知高時代に高校総体と国体をともに3連覇。早大2年時から全日本選手権で3連覇を達成した。68年の仏グルノーブル五輪では21位。家族は妻幸子さん(48)、長男崇彦さん(14)

ナガノの輝きを今も イリヤ・クーリックさん - 管理人 -2004-06-01 06:22:34 (ホームページ)
98年長野冬季五輪のフィギュアスケート男子で優勝したロシア出身のイリヤ・クーリックさん(26)が、5日まで横浜市で開かれたショー「プリンスアイスワールド」にゲスト出演した。

 五輪後、アマチュアからプロへ転向した。現在は妻子とともに米国コネティカット州に住みながら、各国で開かれるプロの大会やショーに参加している。

 日本でのショーは今回で3度目で、全13公演が行われた。その中で静かな曲と明るく速い曲を使った演目二つを披露。磨きをかけたステップと表現力で、満員の観客を沸かせた。

 「いい思い出がつまった日本は大好き。ぼくの演技を喜んでくれる日本のファンを見ると、ぼくも勇気づけられるよ」


元フィギュアスケート五輪代表・平松純子さん(61) - 管理人 -2004-08-05 21:51:13 (ホームページ)
◇稲田先生に心技鍛えられ/ライバル福原さん 村主選手らを指導する兄弟のような佐藤さん

 戦争で幻と消えた1940年の札幌五輪代表候補だった母の指導を受ける形で、10歳からフィギュアを始めました。当時はリンクの建設ラッシュ。自宅近くの深江(神戸市)や大阪の梅田や難波などにスケート場が次々と誕生したころです。

 私が師事したのは、戦前に日本史上最年少の12歳で五輪に出場した稲田悦子さん(昨年7月に死去)。競技への情熱がものすごく、人前でしかられて泣いたことが何回もありました。先生には技術以外でも鍛えてもらいました。整氷時間に、名選手だった山下艶子さんら数十人の前で、わざと内気だった私に声をかけるのです。最初は恥ずかしくて仕方なかったのですが、少しずつ話せるようになりました。大会で緊張しない度胸がついたと思っています。

 中学1年の時に全日本選手権に初出場で優勝してから4連覇。5連覇を阻止したのが福原美和さんでした。周囲に必死さが分かってしまう私とは対照的に2歳下の福原さんは、スケートを楽しくできるタイプ。仲が良かった一方で、負けることの悔しさを初めて知らされた。高校1年の時は稲田先生が成長著しい福原さんを指導するようになり、思春期だった私はショックを受けました。

 ずっと兄弟のような付き合いをしているのが、日本選手権で10連覇し、現在は村主章枝選手や安藤美姫選手を指導する佐藤信夫さん。同い年生まれの信夫ちゃんは、私と同じで母親が元選手。子供のころから練習や大会もほとんど同じで、学校前に早朝のリンクを一緒に貸し切る時は、スケート場の機械室で互いの母親を交えた4人で前夜から泊まり込んだものです。

 関学大3年で現役を引退した後もスケートにかかわっていたくて国際審判になりました。(伊藤)みどりちゃん、佐藤有香ちゃん、今年の荒川(静香)さんと、それぞれの選手が世界選手権で優勝した瞬間は、すべて会場にいました。特にみどりちゃんがトリプルアクセルを決めて日本人初の女王になった時は、テレビ解説の声が震えてしまいました。

 荒川さんや村主さん、安藤さんの他にも表現力豊かな太田由希奈さんら持ち味の違う有望株がひしめく日本女子。世界の舞台での表彰台が夢だった私たちの時代から考えるとうれしい限りです。<聞き手・張智彦 写真・片嶋俊一>

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 ■人物略歴

 ◇ひらまつ・じゅんこ

 兵庫県西宮市生まれ。旧姓・上野。甲南小4年からフィギュアを始め、日本選手権女子シングルで4連覇を含む5度の優勝。60年スコーバレー(米国)、64年インスブルック(オーストリア)と2大会連続で五輪出場し、スコーバレーでは日本女子で初の旗手を務めた。引退後は国際審判になり、98年長野五輪で審判員宣誓も。現在は神戸薬科大教授、国際スケート連盟フィギュア技術委員、神戸市教育委員。

[日時計]親として、コーチとして - 管理人 -2004-09-02 20:20:41 (ホームページ)
フィギュアスケートの日本選手権で昨年優勝を飾った安藤美姫選手(16)(中京大中京高)の素質を開花させたことで知られる小塚嗣彦さん(57)が、支配人を務めていた蒲郡プリンスホテルを先月末で退職した。今後はコーチに専念するという。
 理由は二つある。一つは指導する選手が増えて、「二足のわらじをはくことが難しくなった」こと。いかにも、中途半端なことを嫌う小塚さんらしい。もう一つは、長男でジュニア特別強化選手の崇彦選手(15)(同)の存在だ。
 現役時代に五輪出場経験のある小塚さんには、基礎は高校時代に作られたとの思いがある。「スケートを続ける上で、今が一番大切な時期。定年を待ってはいられない」という気持ちはわかる。
 崇彦選手は昨季不振だったが、多忙な小塚さんは全面的に支えてやることができず、悔しい思いをした。
 今季初戦は、ハンガリーで来月二日開幕するジュニアグランプリシリーズ第二戦。「今季は子供に付いてやれます」という言葉に、親としての思いやりとコーチとしての決意、何よりもフィギュアにかける情熱を感じた。

[こころの四季]山田満知子さん 天才みどりとの試行錯誤 -
来季に向けて早くも始動したフィギュアスケートの世界。リンクの傍らで語る半世紀を超えたスケート人生とは――。
 私の父は戦後、名古屋市の交通局に勤めていたんですが、山高帽にパイプをくゆらせるハイカラな人で、サイドカー付きのオートバイに私を乗せて得意になっていました。そんな父が私の七歳の時に、フィギュアスケートを習うように勧めてくれました。これがスケートとの出合いでした。
 最初は小さなスケートリンクで習い、中学から現在も指導で使っている名古屋スポーツセンターで練習するようになりました。地元の金城学院高校の時には、高校総体や国体で優勝したけど、練習が負担で、あまり楽しかった記憶はありませんでした。
 結局、選手生活は大学の途中で終えました。でもスケートとは離れられず、少しお小遣いが稼げるアルバイト感覚で子供を教え始めました。結婚して長女が生まれ、一度はやめましたが、教え子に「戻ってきて」と請われ、再びリンクに立ったんです。
 その直後の一九七六年、長女が小学校に入学した年に、みどり(伊藤みどりさん=アルベールビル五輪銀メダリスト)が現れた。これが人生の転機でした。教え始めた時は長女と同い年の小学一年生でしたが、けた外れのスピードとジャンプ力で、「すごい選手になる」との思いはそのころからありました。
 五年生だった八〇年の世界ジュニア選手権が、世界デビューでしたが、私の力不足もあって、資金難で寄付をかき集めての遠征でした。だから、「海外はこれ一回」と思っていたんですが、そこでスポンサーが見つかった。「よーし、みどりを立派なスケーターに育ててやるぞ」と力がわき、自宅に住まわせて、指導するようになりました。
 ちょうどコーチとしても面白くなり、「世界の有名コーチと戦っていかなくては」との気負いもありました。ただ、自分の選手時代の経験から「フィギュアは楽しくなきゃ」との思いもあって、試行錯誤の連続。時にはがむしゃらになりすぎて、気性の激しいみどりが反発、家出をしたこともありましたね。
 負けず嫌いなみどりでしたが、世界のトップに入ると、重圧から「やめたい」ともよく言いました。アルベールビル五輪(九二年)の予選を兼ねたこの年の全日本選手権では、直前に欠場すると言いだして、欠場を伝えに行くタクシーの中で「あなたからスケートを取ると何も残らない。苦しくても頑張ることが、将来につながる」と説得したこともありました。でも、これって自分自身への言葉でもあったと思います。
 今、約二十五人の選手を教えています。さすがに還暦を過ぎて、疲れやすくなったのですが、浅田舞(昨年の全日本選手権で六位)、真央(同八位)姉妹を何とか育てたいと思うし、幼稚園児の教え子もちゃんとしてやりたいし、スケートのことを考えるときりがない。やっぱりスケートが好きなんです。だから、八十歳ぐらいまで、リンクに立っていたいですね。(聞き手・一円正美)
 
 ◇やまだ・まちこ フィギュアスケートインストラクター。名古屋・金城学院大卒。20歳で指導者となり、伊藤選手のほかに恩田美栄選手らを育てる。89年、文部省スポーツ功労者。60歳。